昨今、気象変動が著しく、環境破壊がもたらした危険な兆候だろうと見る動きが広がっている。

世界中で異常気象が起これば、何かと環境破壊を顧みない経済優先の悪弊が出たと見る意見が多く出ている。

確かに環境破壊という犠牲を払って、経済優先の活動をするのは、危険な一面をもっている。抑制できるべきところは抑制して、より地球に優しい形で経済発展を遂げるべきことだろう。

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国連で少女が環境破壊と経済優先を続ける大人たちに激怒するという報道が流れた。確かに未来を担う若者たちが大人たちのお金儲け優先で環境に優しい活動が少ないという理由で激怒するのは、よく分かる話である。

しかし、長い人類の歴史を見て、昔はできずに苦しく辛い思いをしてきた人々が現代は、多くの人々が昔の王様のような快適な暮らしを何不自由なく享受している時代である。

長い歴史から見れば、現代は恐ろしく恵まれた環境である。この環境は、まさに人類が生きることの苦しさから脱却するために長年、弛まぬ努力を続けてきた賜物である。

このことに対して、もう少し、ありがたみを感じて、感謝の気持ちを持つことも大事だろう。歴史をすれば、そこから想像する昔の苦しみからいまは逃れ、快適な環境を手にできた現代に感謝すべきである。

この快適な環境は、経済優先の先導なくしてはできなかった。

一例を上げれば、スマホは、いまや多くの人々が手にする生活必需品の一つとなっている。スマホによって、より明晰な情報を得て、学ぶ機会が遥かに増えている。人類は一昔前よりもさらに賢さを増している。

この恩恵は、経済優先、科学の進歩なくしては実現しなかった。

20年前、億万長者がどれだけお金をつぎ込んでも、スマホを手にすることはできなかった。20年前の億万長者よりも、現代の一般民衆の方が遥かに恵まれた環境にいることがわかる。

人類はまだまだ未熟だ。特に地球環境が今後も人類が存続できる一定の環境を保つかどうかは誰にもわからない。

太陽が一日でも高熱の風邪でも引き起こせば、人類はほぼ壊死する。

そのことを思えば、人類は何が何でも生き残るために全力で進歩し続けるしかないのだ。

地球に優しく、環境をより自然に近い形へ持っていくことはたいへん、大事なことだ。しかし、一方で、それさえ達成できれば、人類は未来永劫、幸せになれるということではない。

むしろ、人類がこれほどまでに急速な進歩を遂げて、なおかつ多くの犠牲を払ってでも進歩する速度をやめようとせず、それどころか、より進歩の歩速を早めようとしているのは、いかなる所以か?

もしも、人間においても、環境の危険度合いを察知する第六感を兼ね備えているのであれば、現代において、人類の立ち位置は、むしろ、危うい状況にあるからこそ、進歩の歩みを早めているのではなかろうか。

人類が完全に保全を全うできる技術を手に入れるまで、人類の進歩は最大限、第一優先である可能性は高い。

極端な言い方をすれば、人類がより生存する確率が高いならば、地球を駄目にしでも、生存する技術を優先的に獲得するために活動すべきを是とするだろうということだ。

母なる地球がダメになってしまっても、人類が究極的に、宇宙という大海原に漕ぎ出して、広大な宇宙を漂流してでも存続できる技術を獲得できたならば、それは人類の勝利であり、最大限の善後策というべきことになる。

経済優先の無作為な地球環境を破壊することは、たしかに怒るべき事案である。

しかし、そうした痛烈な批判だけで終わっては意味はない。

対話を通して、お互いに最善策を見出す結論を出すことが重要だ。