昨今、問題が深刻化しているひきこもり問題が、実態把握が明瞭でないために対策の遅れを懸念する声が出ている。
実際の問題該当者となる人数を把握することは、国家規模で対策を講じようというときに大きな目安となる。特に人数が数十万単位ともなれば、その誤差が大きければ、大きいほど、対策予算や支援体制の見積もりは、大きな修正が後々、必要となってくる。
中高年の引きこもり、全国61.3万人とされるが実際は2倍以上か
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190611-00000005-pseven-soci
中高年のひきこもり人数について、61万人という数値が出されていたが、これは自己申告によるとのこと。
そうなると世間体を気にする日本人が多い中で、この数は、正しいと鵜呑みにできなくなってくる。
実際には2倍~3倍とするのが見方として正しいのではないだろうか?
引きこもりする人たちにも、それぞれ持っている意識の違いは多種多様である。自分が引きこもりであるという意識を持っている人もいれば、引きこもりではないと意気軒昂に主張する人もいるだろう。
仮に2倍の120万人という人数が正しいとしよう。そうすると、政府が支援策を検討している人数とは、あまりにもかけ離れている。支援体制が小さければ、救護できる人数も狭まる。意気軒昂に支援や干渉を拒み続ける強硬派の人には、支援を広げるだけの体制は築けないだろう。
救いを求める要望を持った引きこもり者だけが、手厚い支援を今後、受けることができるということだ。
すると、手厚い支援で社会復帰をする人たちもいれば、拒み続けて支援を受けられず、さらに孤立感を増す人たちが出てくるだろう。
孤立しないためには、どのようにすべきなのか?
さまざまな手法を凝らして、救護する努力は必要だが、それには、社会と関連をもたせながら、社会の厳しい風とは違ったリハビリ環境を整えることが必要だろう。
日本はつとに手厳しい人間が多い。それは仕事に絡むと、人が変わる仕事至上主義の理念を持った人々の共通した姿勢だ。
厳しくなければ、だらけるという一種の強迫観念にかられた必然の行動という流れである。怒り、相手を責めたてることで、仕事に強いストレスを与えて、規律を正そうとする。そこにはバランスの描いた感情が波風のように押し寄せては引く。
人間の精神というものはとかく不安定なものである。
どんなに長く生きても、感情の起伏は、年齢に比例しない。感情をコントロールすることは至難の技であり、感情の爆発が、どれだけ多くの人の犠牲を払ってきたことか。
この手厳しい仕事環境を作り出す職人気質の人々は、気弱な気質を持つ人々を餌食にする。
残念ながら、日本は礼儀正しい、規律正しい、おもてなしの優しい気配りができるという高評価を得る一方で、規律にそぐわないこと、気配りが行き届かないことには、怒り心頭して、相手を責め立てる仕事至上主義の人間を育ませる環境にある。
仏のお面の裏側は、鬼のお面ということだ。
仕事場は、表側ではない。常に裏側の環境にある。ゆえに鬼の形相で、敵を討ち取らんが如き、怒りをぶちまける。それは、規律を乱す、仕事の回転を悪くするという仕事目線で見れば、大悪党の輩を討ち果たさなければならないという強い使命感さえ沸き立たせてくる。
引きこもり者の多くは、こうした日本の二面性に直面して、困惑し、精神崩壊を来すのである。
精神崩壊をきたした人間は、社会に恐れをなして、二度と外の世界と接触することを拒み続けるのだ。
それは、日本の二面性という特殊な環境が作り出した、哀れな犠牲者たちである。
この日本の陰湿な部分に囚われ、迷路をさまよう引きこもり者たちが社会復帰することは恐ろしいほど難しい。
これは、一種の複雑にこんがらかった精神状態が作り出した機能不全の状態である。この機能不全を改善する方法は1000通りある。
1000人いれば、1000通りの方法で独自に改善するための努力をしなければならない。誰一人として、同じ方法で改善はできないであろう。