久しく日本では、引きこもり問題が大きく取り上げられている。
だが、問題提起はされども、問題解決には、程遠いのが現状だ。
ひきこもり100万人時代 : 中高年層は8割が男性
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190530-00010000-nipponcom-soci
この問題は、到底、解決されないことだろう。
むしろ、この問題を含んだ社会構図が出来上がり、問題解決に至らない原因は、どこにあるのかを突き詰めて
考えてみる必要があるだろう。
多種多様な問題が絡んだ末のがんじがらめのほつれた状態がこの問題を複雑化させていると言えよう。
1.精神的弱者の社会不適合
2.切迫した生活困窮に直面する機会がなかったため、危機感の中で強い精神力が磨かれなかったから
3.何世代にも渡り、重圧労働の末、耐ストレス性を失ったため。
4.富裕な日本社会において、真面目に労働することの意義を失ったことによる。
他にも多種多様なことが要因となって、ひきこもりが起こっていると考えられる。
逆に言えば、ひとつやふたつの原因ですべてのひきこもりする人たちが当てはまらないということ。
ひきこもりする人たちは、それぞれ、個別にひきこもりになる原因が存在し、原因は千差万別である。
問題原因を大枠でいくつも分別しなければ、問題解決は見つからないだろう。
ひとつには、日本の仕事の厳しさが影響しているといえる。
日本は物作り世界一、仕事の質も世界一など仕事においてプロフェッショナルな姿勢を見せる国民として
つとに有名である。
逆をただせば、日本は仕事に対して世界一シビア、厳しい姿勢を見せる国でもある。
よく日本人の褒め言葉に職人技とか、職人かたぎなどと呼ぶことがある。
これは、サービスを受ける側は、満足の行く質の高い品を得られるため、保証、ブランドのような憧れや尊敬を込めた目印となる。
しかし、職人側に並んだ瞬間、厳しい基準、厳しい規律、厳しい仕事意識という常に緊張感漂う極めてキツイ世界に一変する。
よく若者が入社してすぐに離職するのは、こうした仕事一筋のプロ意識を持った職人先輩たちの厳しい姿勢や雰囲気に耐えかねて
辞めるケースが多い。
日本の仕事場は、大手であろうが、中小企業であろうが、大同小異に共通して持っている厳しい面である。
この仕事に根ざした厳しい姿勢は、人を責め立てる。大義名分として、仕事ができるかできないかという錦の御旗を振りかざして、
ちゃんとやれ!なにをやっているのか!と非難するわけだから、若手であろうが、中堅であろうが強大なストレスを受け、
精神が折れる者が続出する。
最近は、こうしたモラハラやパワハラなど、なんでもハラスメント化して、大きな問題にならないように警告が飛び交っているが、
それでも、仕事至上主義の職人たちにとって、仕事ができないものが人権を振りかざすなという論調でいる。
仕事ができないものは、死あるのみ!という白黒の両極端の考え方しか持たない職人が多いのだ。
なぜそうなるのか?それはいつも白黒はっきりして仕事をこなしているからである。
曖昧なグレーゾーンなどというのは、仕事ができない状態に使うものと職人たちは決め込んでいる。
さらに言えば、仕事で喧嘩もできないやつに本気で仕事を取り組んでいるとは言えないという論調もある。
本気で仕事に取り組んでいれば、仕事ができない者を見れば、怒鳴り責め立てて怒るのが当たり前となる。
とかく、仕事ができる、できないという二択だけが仕事を支配するという仕事人間にとっては、中途半端な
てへぺろ仕事しかしない者は、悪人、罪人同様と成るのだ。
それは、仕事ができない者が仕事場にいれば、結果的に、しわ寄せは自分に来る。自分に負荷がかかり、
それで他人の荷物を背負って、自分の荷物を背負うのがおろそかになったならば、仕事ができない批判を自分が
受け、結果として家族を露頭に迷わすことになる。
自分の仕事のできるできないが妻や子の生活まで左右するのだという責務がある以上、職人さんたちは、青筋立てて、
モラハラ、パワハラに精を出すことになる。
しかし、職人さんたちからすれば、仕事もできない人間が、怒られるのは当たり前、自分たちがいい迷惑を被っているのだから、
悪人や罪人が、盗人猛々しくモラハラだのパワハラだのほざくのは、本末転倒だというわけだ。
昔は仕事は見て盗めというくらいだったのが、手取り足取り教えろとほざく。
こうした論調によって、日本の仕事場は厳しいものとなっている。
日本人は日本人の勤勉なとところを誇りにしているようだが、それと同じくらい日本の高い技術力、高い品質を誇りに思っている。
しかし、その高い技術、高い品質は、厳しい職場環境から生み出されていることを忘れてはならない。
結果として、日本人が仕事をするということは、多かれ少なかれ、プロ意識を持ち、厳しい仕事人間という姿勢を見せる者だけが
働いていける場所だということだ。
ひきこもりになった人間が、一念発起して、社会人として、仕事をするというのは、大変に厳しいというのが現状である。
それは、取りも直さず、日本人がそうしたひきこもりをした人間を、仕事ができる人間とはみなさない、厳しい環境にあるということ。
残念ながら、ひきこもりをする人間は大きな問題を抱え込んでる。その大きな問題を自分で昇華できない中で、仕事を始めて、
ストレスを感じ続ければ、どうなることか。
日本において、ひきこもりをしている人たちが、どうやって、自分が抱えている問題を解決し、社会復帰を成すかは、とてつもなく
大きな問題であり、現在の支援体制では改善しきれないというのが現状であろう。
一つには腹をくくって、思いっきり生きる努力をすることだろう。
それは社会の底辺においても、できないことではない。
時間はたっぷりとあるわけだから、その時間を有効に使って、自分を再構築する動きをすることだ。
再構築する上で必要なことは、自分史を積み上げていく努力をすることにほかならない。
テレビやゲームなど希薄な世界に自分の意識をつけていても、それは自分の厚みにはならない。
社会は厳しい。強い強風が吹き荒れる世界だ。
その中で、立派に生き抜いていくためには、強い精神を根付かせることが大事だ。
弱い精神では、強風が吹けば、根本から折れ、根こそぎ斃れる。
人は絶えず凋落する苦難に遭遇する。
凋落すれども、低迷するなかれである。
凋落は、意気軒昂に生きようとしても、外圧によって、へこたれ、気分が滅入って、気落ちして、落ち込んだ気分に苦しむ境遇を指す。
低迷は、そうした落ち込んだ精神が長く続くことにある。
低迷こそ、一番恐れねばならない。
精神が落ち込んだまま、上がってこない状況であり、自分の弱い部分ばかりが存在し、外圧をはねのけ、意気軒昂な気分を保ち続ける
ことができない状況にある。
凋落は、防ごうと思ってもできない。外圧から突然やってくるわけだから、必ず、気分が悪くなる。最悪、うつ状態にまで落ち込む。
どうすることもできないわけだから、あとは気分を上昇させればよい。
ひきこもりをする人たちは、精神が低迷したままでいるのだ。
それはちょっとしたきっかけによる精神の凋落から始まったことだろう。
だが、その負けた敗北感のまま低迷したまま何十年も生きるというのが、大変危険である。
社会不適合者となってしまう。
精神が低迷し、その低迷がさらに足を引っ張り、泥沼のように地底へ精神を沈み込ませる。
自堕落で、社会規律に沿った生き方ができなくなる。
そうした敗北感と負けた者が社会から離れ、逃亡した先に自由な時間を手に入れ、貧しいながらも自由を謳歌する。
されど、金銭が伴わず、社会で立派に自立していないがために、鋼の精神を持ち合わせていない。
こうした不安材料と背中合わせのまま、時間だけが無駄に過ぎ去っていく。
自分には優しいが、反面、社会から離れ、不安を払拭しきれない。
こうした悪い面と良い面の二面性の狭間にあって、自己の確立もままならぬまま、老齢化していく。
非常に困難な問題を抱えたまま、社会はひきこもりを危険視する風潮へと変わってきている。
社会において、日本人が落ちこぼれた人々を救うだけの度量広いところを見せることができるのか。
社会の構造上、いまだに解決を見ない。
現代病のように過去に例を見ない、大きな社会問題である。
ひきこもりの悪い点を上げるならば、それは金銭面だけであろう。
例えば、お金持ちであれば、ひきこもっていても、問題はないのではないのか?
金銭面で不安材料を抱えるがゆえに、ひきこもることの悪い面が露呈する。