少子化問題の真髄は、どこにあるのか?

単純に、少子化と高齢化によって、生産性の低下、高齢者保護のための重荷の比重が増すことで、バランスを欠いた社会となり、経済破綻を起こしかねないという懸念になる。

「人口減少」と「高齢化」進む日本のヤバい問題

https://toyokeizai.net/articles/-/275706

こうした状況は、この先も、今現在の技術止まりを想定しての悲観的な観測である。ロボットや人工知能の格段なる発達があれば、労働不足は解消し、不安定な経済社会は創出することはなくなる。

言わば、火の車状態からの沈静化である。

現代社会は、一人で生きていく人間が圧倒的に多くなった。その背景には、人間関係の煩わしさや、その他色々な要因によるしわ寄せが結果として、低出生率へとつながっている。

経済的なゆとりある社会を創出しない限り、少子化問題の打開策は解消されないであろう。

あと20年もすれば、いまの社会構造は大きく変化していることだろう。できることが目まぐるしく変わり、より多種多様となる。それらを管理するのは、もはや人間ではなく、人工知能となっていることも想定される。

ロボットが社会維持の中心的労働力を提供する存在となっていることだろう。

この微妙なバランスの上にあって、人間は、果たして古代から続いてきた欲望のままに突き動かされた行動原則に沿って、生きていくべきであろうか?

ロボットが勤勉に働き、社会維持を成し遂げたときに、人間は、果たして、人間として生きる姿を描き出すことができるのであろうか。

大抵の人間は、適度な労働と適度な休息によって、満たされた人生を送っている。これはないものねだり的な問答になってしまうが、日々の労働に勤しむ労働者は、もっと休日があればいいのにと思う。

日々の労働者の中にも、暇な者もいる。そうした手持ち無沙汰の労働者は、仕事がないことを辛く感じ、もっとやりがいのある仕事をしたいと願う。

技量の無いまま、無駄に時間を過ごせば、いざ、露頭に迷ったときに、スキルもなく、再就職は難しくなる。

やりがいのある仕事は、人間を生き生きとさせる。

今後、ロボットは、人並みの仕事をこなし、さらに人並み以上の仕事をこなしていくことだろう。

人工知能は、人を凌駕し、全知全能の神の如き、存在ともなろう。

そのような時代の人間は、生身の人間ではもはやいられず、サイボーグ化、さらには遺伝子改良によって、新たな生物へと進化を遂げていることだろう。

問題は、完全体へと近づく社会、完全体へと近づく人間。そこには、個性を失った面白味の欠けた、均一性のとれた存在だけが残る。

そうした時、不格好で、不便で、不器用で、不衛生で、混濁とした過去の世界は、憧れの的となっているかも知れない。

何ら保証もない中で、懸命に生きる人間の本来の姿を見ることができるからだ。

自然の進化の上で、限界に達した人間の姿は、賞賛の的となることだろう。

現在の人々が、おひとりさまとして、自由気ままな独身貴族を謳歌するのは、単に一人で生きることのできる社会となったことの裏返しである。

子供は次世代の担い手として、いま現在も必要不可欠な無二の存在である。だが、本格的なロボットの到来、高性能化するロボットによって、少子化は拍車がかかるものと思われる。

ロボットによる社会労働の大半をまかなえる時代となった時、果たして、次世代の労働力を担うべきとして多子化を求めることはなくなるであろう。

いや、むしろロボットによって、人間側の労働負荷が軽減されれば、多子化へと移行することも十分に考えられる。子育てを支援するロボットの高度化が、需要を下支えすることだろう。