人類は長い歴史の中で、人間にとって有益な点を見つけ出し、実用化することで、よりよい文化を形成してきた。
それは、ある意味で人間にとって最も適した状態を作り出すための努力の賜物であった。
人間に最適化することに、便利で効果的な成果を上げることにつながった。
それは、人の手が膨大なルーチンワークによって、最適な状態を見つけ出すために労力と費用を注いできたことで、実現してきた。
こうしたことが今後も続くことになろう。
しかし、最適化するために膨大な情報量を最も良い点で探し出すことは、多大な時間と労力を要す。
これを人工知能によって、変える動きとなれば、人類の発展は、大いに進むであろう。
人工知能が人間の代わりとなって、最適化の方法を行うようになったことは、画期的である。医学の分野では、徐々に使われ始めている。
今はまだ、ごく一部の病気の早期発見に使われているが、ベテラン医師と変わらない検知能力を人工知能が持ったことは、今後のあらゆる分野にも、使われる布石となった。
人間は曖昧でミスを起こしてしまう可能性を持っている。
そうした判断ミスを防ぐために今後は人工知能が人の補佐役として、介在することとなろう。
こうした自動化の波は今後とも、大きくなっていく。
便利な世の中になることは確実となる。
人工知能の発達により、高速通信と相まって、人間をサポートする人工知能やロボットが増えていくことは必定である。
その方が人間にとっても注意力の酷使による疲弊を防ぐことにつながる。
常に自問自答する自己確認の姿勢から、少しでも開放されれば、負荷の軽減につながる。
2045年にシンギュラリティに到達するという考え方は、単純な発想ではあるが、進化の勢いは、この年度までには、遅かれ早かれ、人間を不要にさせてしまうほどの進化を遂げることだろう。
いまからあとわずか20年という歳月で、人間は現代と呼ばれてきた時代、世界大戦後からの現代と呼ばれてきた新時代が培ってきた文化から、脱皮しようとしてきている。
残念なことに、現在の社会は、ほとんど半分以上は、無駄なことに労力を費やしている。すなわち、人間が行わなくても済むような仕事が大半を占めてきた。
しかし、それを補う技術が、ギリギリのところでできていない。人間は、仮想世界において、自由自在を手に入れた。
今後は、物理の世界にその技術を投影させていく。
25年かけて、人間は仮想世界を実用的な世界に仕上げた。
今後は25年かけて、現実世界、物理世界を仮想世界のように自在に操る技術を手に入れる。
そのためには、今まで以上に膨大な計算量が必要となる。それも人間に適合した計算を行うために行う。
量子コンピュータが必要不可欠となる。
25年後、物理世界を自由自在に操るほどの実用化レベルにまで技術を高めることになるだろう。だが、その後は、人間の適用力を遥かに超える進化を見せ始める。人間はもはや進化の上の進化を生身の体では理解不能となろう。
サイボーグ化した人間だけが、かろうじて、その進化スピードに追いつくことだろう。
人間は、最適な状態を継承してきた。しかし、その継承は危ういものと背中合わせの状態であった。現在も、豊かな社会とはなったが、それだけで本当の発展はできない。
人間が今後も、100年後、1000年後までも安定した快適な環境を地球が維持しているかは不明である。
ゆえに効率的に、素早い進化を遂げることに越したことはない。
地球の環境が快適な状態に維持されている現在、よりよい進化を遂げることは大事だことだ。
人工知能によって、新しい技術が、毎日のように生み出されるようなシンギュラリティの時代を早く到来させることが、目下の課題であろう。
進化が余りのも早くなってしまうと、技術の壁によって、固定された文化の創出ができないほど刷新されていく時代は、そこにアイデンティティをうまく形成できるかは、不明となる。
できないこと、不便なところがあればこそ、そこに一種の強制的な文化の閉じ込めが起こっていた。それが日々、ブレイクスルーを成す時、人の感性は、どこまで追いつくことだろう。